秀吉コラム

豊臣秀吉がスペインに宛てた手紙の真実とは?植民地化を防いだのか

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日本の歴史を振り返ったとき、戦国時代の終わりから安土桃山時代にかけての時期は、とてもダイナミックで興味深い出来事がたくさんありますよね。

その中でも、豊臣秀吉さんが海外の国々とどのようなやり取りをしていたのか、これって気になりますよね。

実は多くの人が同じように「秀吉は当時の世界最強国とどんな関係だったんだろう?」と感じているんですね。

とくに、スペインという当時の超大国との間に「手紙」が交わされていたという事実は、あまり学校の授業では詳しく習わないかもしれません。

もし、その手紙が日本という国の運命を大きく左右していたとしたら、もっと深く知ってみたくなりますよね。

この記事では、豊臣秀吉さんとスペインの間で交わされた手紙の内容や、その背景にある世界情勢について、一緒にゆっくりと紐解いていきたいと思います。

読み終える頃には、きっと今までとは少し違う視点で、日本の歴史を見つめ直すことができるようになりますよ。
 

秀吉はスペインを警戒して威嚇の手紙を送っていました

当時の日本は、長い戦国時代を経て、ようやく豊臣秀吉さんの手によって天下統一が成し遂げられようとしていた時期でしたよね。

そんな中、海を越えた遠くの国々、とくにスペインやポルトガルといったヨーロッパの国々が、アジアへと進出してきていました。

結論から言ってしまうと、秀吉さんはこのスペインという国の軍事的な脅威をかなり強く警戒していたとされています。

そして、ただ恐れるだけでなく、相手に対して「日本は強い国だぞ」「勝手な真似は許さないぞ」という強いメッセージを込めた手紙を、何度か送っていたんですね。

この手紙は、単なるご挨拶や貿易のお願いといった優しいものではなく、かなり威嚇的で牽制するような内容が含まれていたと言われています。

私たちからすると「あの巨大なスペイン帝国に、そんな強気な手紙を送ったの?」と驚いてしまうかもしれませんね。

でも、それには当時の秀吉さんなりの、深い考えと危機感があったのだと思われます。

国を守るための必死の外交戦略だったのかもしれませんね。
 

世界的な植民地化の波と武力征服の可能性を感じ取っていたからなんですね

では、なぜ秀吉さんはそこまでスペインを警戒し、強い言葉を使った手紙を送る必要があったのでしょうか。

それには、当時の世界全体を巻き込んでいた大きな波が関係しているんですね。

一緒に当時の世界地図を思い浮かべながら、その理由を探っていきましょう。
 

中南米やフィリピンで進んでいた植民地化の現実

16世紀の後半、スペインやポルトガルは世界中に船を出し、新しい領土を次々と獲得していました。

とくにスペインは、メキシコやペルーといった中南米の広大な地域を征服し、さらにアジアにおいてはフィリピンのマニラを拠点にして勢力を拡大していたんですね。

ポルトガルも負けじと、インドのゴアやマレー半島のマラッカ、そして中国のマカオなどを支配下に置いていました。

このようなヨーロッパの国々が、布教(キリスト教を広めること)と貿易をセットにして近づき、最終的には軍事力でその土地を征服してしまうというパターンは、すでに世界各地で起きていた現実でした。

秀吉さんのもとには、こうした海外の恐ろしい情報が、商人や船乗りたちを通じてある程度伝わっていたとみられています。

もし自分が国のトップだったら、次に狙われるのは自分たちの国かもしれないと、すごく不安になりますよね。

秀吉さんが抱いた警戒心は、決して大げさなものではなく、当時の国際社会の現実を鋭く見抜いた結果だったのかもしれません。
 

一部の宣教師が考えていた日本への武力征服プラン

さらに、日本にやってきていたキリスト教の宣教師たちの中には、純粋に教えを広めたいと願う人がいる一方で、とても過激な考えを持つ人もいたようです。

1576年、フィリピン総督のフランシスコ・デ・サンデさんは、「明(中国)に貿易拠点を確保するために軍事侵攻すべきだ」という内容の上申書を、スペイン国王に送っているんですね。

また、日本にいた宣教師の一部も、「中南米やフィリピンと同じように、日本も武力で征服してしまえば布教がもっとスムーズに進む」といった内容を手紙にして、本国へ報告していたことがわかっています。

例えば、スペイン生まれのイエズス会士であるペドロ・デ・ラ・クルスさんは、1599年の手紙で「日本の布教を成功させるためには、武力征服が必要だ」とかなり具体的な提案を記していたとされています。

もちろん、これがスペインという国全体の「公式な方針」だったかどうかは、歴史家の間でも意見が分かれていて、確実な証拠はないと言われています。

でも、「日本を武力で征服しよう」という意見が実際に存在していたのは事実なんですね。

秀吉さんが、こうした宣教師たちの背後にある軍事的な野心を感じ取っていたとしても、不思議ではありませんよね。
 

伴天連追放令は日本を守るための防衛策だったのかもしれません

こうした背景を知ると、天正15年(1587年)に秀吉さんが出した「伴天連(バテレン)追放令」の見方も少し変わってくるかもしれません。

この命令で秀吉さんは、宣教師たちを日本から追い出すことを決めました。

その理由として、「宣教師が大名たちをそそのかして領地を乗っ取ろうとしている」とか、「南蛮人(ヨーロッパ人)が日本人を奴隷として海外に連れ去っている」といったことを挙げています。

これって、まさに国が内側から崩されていくことへの強い恐怖感ですよね。

純粋な宗教問題というよりは、国の安全保障、つまり日本が植民地にならないための防衛策だったという見方もできるんですね。

私たちも、もし大切な家や家族が知らない人に乗っ取られそうになったら、必死で守ろうとしますよね。

秀吉さんも同じように、天下統一を果たしたばかりの日本を、どうにかして守り抜こうとしていたのだと思います。
 

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実際に交わされた3つの重要な手紙の内容をご紹介します

それでは、秀吉さんは具体的にどのような手紙をスペイン側の勢力に送っていたのでしょうか。

史料として残っているものの中から、とくに重要とされている3つの手紙のやり取りについて、一緒に見ていきましょう。

当時の国際的な緊張感が伝わってくるかもしれませんね。
 

インド総督へ宛てた東アジア支配を宣言する手紙

まず一つ目は、文禄元年(1592年)前後に送られたとされる、ポルトガルのインド総督へ宛てた手紙です。

当時のポルトガルは、一時的にスペイン国王が兼任して支配する「イベリア連合」という状態だったので、実質的にはスペイン勢力への手紙と言ってもよいんですね。

この手紙の中で、秀吉さんは驚くほど堂々とした態度をとっています。

具体的には、以下のような内容が書かれていたとされています。
 

  • 自分はすでに日本(天下)を統一したということ
  • 朝鮮や琉球などの周辺の国々が、すでに自分に服属しているということ
  • 近い将来、明(中国)を征服する計画があるということ
  • 日本国内でのキリスト教の布教は禁止するという方針

いかがですか?これって、ただの近況報告ではないですよね。

「これから東アジア全体を自分の支配下に置くつもりだから、勝手な布教や軍事的な口出しはするなよ」という、強烈な威嚇と牽制のメッセージが込められていたと考えられています。

自分たちよりもはるかに巨大な帝国に対して、あえて大きく出て相手をひるませる。

そんな秀吉さんの胆力には、すこし圧倒されてしまいますよね。
 

フィリピン総督を震撼させた服属要求の手紙

二つ目は、当時の日本のすぐ南、マニラにいたフィリピン総督(スペイン)宛ての手紙です。

この往復書簡は、秀吉さんの外交を知るうえでとても有名なものなんですね。

1591年から1594年頃にかけて、何度かやり取りがあったとされています。

秀吉さんは、フィリピン総督に対しても「自分が日本を統一し、明へも出兵するつもりだ」と伝えたうえで、なんと「速やかに使者を日本へ送って服属(降伏)しなさい」と要求したのです。

しかも、遅れれば軍勢を送って征伐するぞ、という威嚇的な言葉まで添えられていたと言われています。

これを受け取ったフィリピン総督のゴメス・ペレス・ダスマリニャスさんは、本当に驚き、そしてパニックになったことでしょう。

スペイン側の記録によると、総督は秀吉さんの手紙を受け取った後、次のような行動に出たとされています。
 

フィリピン総督の具体的な対応 その理由や背景
マニラで戒厳令を敷き、防備を強化した 日本の軍隊がいつ攻めてくるかわからないという強い恐怖感から
スペイン国王にメキシコからの援軍を要請した 現地(フィリピン)の軍事力だけでは日本に対抗できないと判断したため
台湾を占領する許可を本国に求めた 台湾が日本軍の出撃基地として利用されるのを防ぐための先制策

この表を見ると、スペイン側がどれほど秀吉さんからの手紙を真剣に、そして脅威として受け止めていたかがわかりますよね。

とくに1593年から1594年頃に送られたとされる手紙では、「互いに友好的な関係を望む」と書きながらも、「明を手に入れれば、ルソン(フィリピン)は容易に到達できる場所にある」と露骨な脅しをかけています。

「仲良くしようね。でも、いつでもそっちに攻め込めるんだからね」と言われているようなものですから、総督が本国に「メキシコから軍隊を急いで送ってほしい!」と頼み込むのも無理はありません。

秀吉さんの心理戦、かなり効果があったのかもしれませんね。
 

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サン=フェリペ号事件で見せた軍事介入への牽制

三つ目は、「遭難船」をめぐる通告の手紙です。

天正19年(1591年)頃、秀吉さんはフィリピン総督に対して、「日本では遭難した船の乗組員は救助する」という趣旨の通告を出していたと言われています。

これだけ聞くと、「なんだ、優しい手紙じゃないか」と思うかもしれませんね。

でも、実はこの言葉の裏には、とても計算されたメッセージが隠されていたんです。

当時のヨーロッパの国々は、自分たちの船が難破して他の国に漂着したとき、「自国民を保護するため」というもっともらしい理由(口実)をつけて軍隊を送り込み、そのままその土地を占領してしまうことがありました。

秀吉さんは、その手口をしっかりと警戒していたんですね。

だからこそ、「遭難者はこっちでちゃんと保護してあげるから、それを口実にして勝手に軍隊を送り込んでくるなよ」と先回りして釘を刺したのです。

この通告が重みを持ったのが、1596年に起きた「サン=フェリペ号事件」です。

この事件では、スペインの船(サン=フェリペ号)が日本の土佐(現在の高知県)に座礁しました。

秀吉さんはこの船の積荷を没収し、それがきっかけで宣教師や信者たちが処刑されるという悲しい出来事(26聖人の殉教)につながってしまいます。

事件への評価はさまざまですが、秀吉さんが「保護を口実にしたスペインの侵略」を限界まで警戒し、強い態度で臨んだ結果起きた摩擦だったという見方もできるんですね。
 

秀吉の手紙は日本が植民地化を免れる一つの要因になったと考えられています

ここまで、秀吉さんとスペインの間で交わされた手紙の内容や、その背景にある世界情勢を見てきました。

こうして振り返ってみると、インターネットも電話もない時代に、秀吉さんがどれほど神経を尖らせて海外の情報を取り入れ、国を守ろうとしていたかが伝わってきますよね。

近年のブログや解説記事などでは、「秀吉がスペインの侵略計画を察知し、先制して威嚇したおかげで、日本は植民地にならずに済んだんだ」という少しドラマチックなストーリーが語られることも増えています。

もちろん、歴史の研究者たちの間では、「それだけが理由ではない」という冷静な意見が一般的です。

秀吉さんの朝鮮出兵などは、純粋に彼自身の野心が大きな理由だったと言われていますし、スペイン側が本当に国を挙げて日本を軍事征服しようとしていたという決定的な証拠も見つかってはいません。

でも、結果としてどうだったのか、いくつかの要素をまとめてみましょう。
 

日本がスペインの植民地にならなかった複合的な理由
秀吉による強気な威嚇外交(手紙)や、布教・貿易の厳しい統制
戦国時代を経て鍛え上げられた、日本国内の強力な武士団の存在
日本という国が一つにまとまり、強力な政権(豊臣政権)が誕生したこと
ヨーロッパから遠く離れており、スペインにとっても攻め込むにはコストが高すぎたこと

このように、いろんな条件が重なり合って、日本は独立を保つことができたんですね。

ただ、その中でも、秀吉さんがスペインの総督に宛てた「手紙を通じた抑止力」が、大きな役割を果たした可能性は否定できません。

相手に「日本は手強いぞ。うかつに手を出せば痛い目を見るぞ」と思わせることに、見事に成功していたのかもしれませんね。
 

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過去の歴史から私たちが学べることはたくさんありますね

豊臣秀吉さんとスペインの手紙のやり取りについて、一緒に見てきましたが、いかがでしたでしょうか。

ただの昔話として片付けるにはもったいないくらい、ドキドキするような外交の駆け引きがあったことがわかりますよね。

強大な力を持つ相手に対して、ひるむことなく自分の国を守るために強い言葉で交渉する姿勢。

そして、相手の意図を先読みして、つけ入る隙を与えないようにする知恵。

これらは、現代の私たちにとっても、人間関係やビジネスの場面で何かヒントになる部分があるかもしれませんね。

歴史を知るということは、ただ年号や出来事を覚えることではなく、その時代を生きた人々の「心」や「必死の思い」に触れることだと思います。

もしかしたら、秀吉さんも夜遅くに一人で筆を握りながら、「この手紙で本当にスペインを止められるだろうか」と不安な夜を過ごしていたかもしれません。

そんな想像を膨らませてみると、歴史上の偉人が急に身近な存在に感じられませんか?

もしこの記事を読んで、少しでも「歴史って面白いな」「もっと他の出来事も知りたいな」と思っていただけたなら、とても嬉しいです。

ぜひ、休日には図書館に行ってみたり、歴史の本を手に取ってみたりして、さらに詳しい世界情勢や秀吉さんの人生に触れてみてくださいね。

きっと、今まで見えていなかった新しい発見があなたを待っているはずですよ。